せっかく始めたゲームの個人開発、できれば長く楽しく続けたいものだ。しかし、一般的にゲーム開発は挫折しがちである。まずはその理由について考えてみよう。


挫折する理由

まず、ゲーム開発は大変だ。総合芸術などと呼ばれることもある。つまり、ゲームというのは、音楽も映像もキャラクターもシナリオもシステムもレベルデザインも、全部合わせて1つの作品として表現するものなのだ。簡単なわけがない。大変なので、まずそれだけで挫折しがちというわけだ。

しかし実はもう一つ、特に個人開発でゲームを作っている大人たちにはより大きな問題がある。それは、ゲームの個人開発では稼げない、という事実だ。お金にならないならこんな大変な作業はもう辞める、というパターンだ。ゲーム開発は大変でも、売れれば報われるのだ。

稼げない、というのは少々大雑把な表現かもしれない。なぜなら、世の中には稼いでいる人間が必ず存在するからだ。稼いでいる人がほんのひと握りで、あとは稼げない人が大半という図式なのだ。

エンターテインメントや芸術の分野は、だいたいそうだ。例えば、音楽、イラスト、小説なんかは、どれも稼ぐのは難しい。長くやっていれば稼げるようになる、というものでもない。それなりの時間をかけることは大前提で、それに加えて、計算高く、大衆が欲しているもの理解し、そこを狙いつつ新鮮さを感じられるものを生み出さなければならない。さらに多くの人に知ってもらうための宣伝も必要不可欠だ。

ゲームも音楽もイラストも小説も、もともとそれらのエンターテインメントを享受することが大好きな人たちが、いつか自分も素晴らしい作品を生み出して人々を感動させたいという思いで、作品を作りを始めることがほとんどではないだろうか。素晴らしい作品の数々に触れ、面白いゲームとは何かを十分に理解したつもりになり、自分にもそのような作品を生み出す力が備わっているような錯覚をするのだ。だから、自分が傑作と思ってリリースしたゲームがさっぱり売れなかったり、そもそもこれは傑作と思えるようなゲームが作れなかったりすると、「こんなはずではなかった」と挫折してしまうのだ。

このように人々をゲーム開発に駆り立てるのは、自己顕示欲や承認欲求の類であり、それはまさに衝動なのではないだろうか。

新しいゲームを作っても作ってもなかなかヒットしないという状況は、自分の作品の良さに世間はなぜ気づかないのか、というやや身勝手な不満と、自分には良い作品を作る才能がないのではないか、という漠然とした不安を増幅させるに違いない。自己顕示欲や承認欲求は満たされないまま、それらの負の感情に耐えきれずに挫折してしまうのではないだろうか。

きっかけは衝動だって構わないはずで、何かを始めるときはむしろそのような強いインパクトが必要だ。しかし一方で、何かを長く続けるためには、そのような情熱的な感情とは別に、冷静かつ論理的に物事を理解する頭が必要なのだ。


挫折しないために理解したい3つのこと

では上述の負の感情を回避するにはどうすれば良いのか。それには、次の3つのことを理解するだけで良い。

  1. 世間は自分の作品など知らない。
  2. 自分には才能がない。
  3. 失敗は成功のもとである。

1. 世間は自分の作品など知らない、という理解

まず「世間は自分の作品など知らない」という当たり前の事実を受け入れることはとても重要だ。例えば、SteamやApp Store、Google Playなどの主要な販売プラットフォームには数えきれない大量のゲームが溢れており、日々、多くの新作ゲームが追加され続けている。その中にはもちろん、大人気ゲームのシリーズものや派生物があったり、人気ゲームメーカーの新作ゲームが並んでいる。そんなレッドオーシャンで何の情報も無しに自分の作品にたどり着いてくれる人などほとんどいない、というのは容易に想像がつくはずだ。

だから、販売プラットフォーム上に表示するタイトルや説明、スクリーンショットはかなり重要だし、知ってもらうための宣伝活動はもっと重要だ。このあたりの作業は面白くないかもしれないが、しっかり研究して実践すれば、何もしないのに比べて確実に結果に反映される。

とにかく「世間は自分の作品など知らない」という事実を認めた上で、じゃあどうすれば良いか、を考えて具体的に行動することが成功の鍵なのだ。売れるための行動を何もしていないのに「世間は自分の作品の素晴らしさに気づいてくれない」などと考えてしまうのは、まったくもってナンセンスである。


2. 自分には才能がない、という理解

次に「自分には才能がない」という理解もまた重要だ。そもそも問題は、本当にあるかどうかわからない「才能」という神様からの授かり物のようなものを信じていることだ。自分に才能があるかないかを他人や他人の作品と比較してジャッジし、その結果に基づいて、続けるのか辞めるのかを決めてしまうのである。才能など誰にも最初から備わっていないのだ。脳や身体の優位性は生まれ持ったものが多少あるかもしれないが、人生の中でその優位性に気づける人がどれだけいるだろうか。遺伝子解析が一般化される時代が来るまでは、そんなものより、自分が好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか、の方がよっぽど確かである。

例えば「才能のあるプロスポーツ選手やプロの音楽家を思い浮かべてください」と言われると、何人か顔が思い浮かぶだろう。では、その人たちが何の努力もせずに結果を出して有名になれたかというと、それは違うはずだ。才能というのは、実は結果論ではないか。飛び抜けた結果を出した人間には才能があると誰しも思ってしまいがちだ。しかしそのような人たちは、結果を出すまでの過程で、技術の向上や知識の習得に誰よりも時間を投下しているはずなのだ。その時間の使い方も、インプットとアウトプットのバランスが取れているはずだ。そして、他者との比較よりも、過去の自分との比較をしてモチベーションを高く保ち、常に向上心を持って工夫してスキルアップに励んでいるはずだ。

実は、他者ではなく過去の自分との比較をし続けることはとても良いサイクルを生む。特にゲーム開発を始めた最初の頃は、できるようになることも多いので、確実に昨日の自分より今日の自分はスキルアップしている。すると「自分はゲーム開発に向いているんじゃないか」と思えてくる。気分はどんどん楽しくなってくるし、ゲーム開発が好きだと思えてくる。そうなると、もっとできるようになりたいと思う。そしてまた時間を投下して昨日よりできるようになる。このサイクルにより、どんどん時間を投下できるようになる。そうして、半年、一年と経過した時に、いつの間にかゲーム開発スキルがかなり習熟した状態になっているというわけだ。もしかしたら「才能がありますね」と言われる日が来るかもしれない。

スキルアップすれば必ずゲームが売れるわけではないが、確実に面白いゲームは作れるようになるはずだ。売れるかどうかは運がつきもので、例えば、たまたま知名度のある人が自分のゲームを買ってくれて、それが面白かった時に、ソーシャルメディアで拡散してくれるかもしれない。しかし、ゲームが面白くなければその可能性すらない。


3. 失敗は成功のもとである、という理解

「失敗は成功のもと」とは使い古された言葉だが、この理解が非常に重要だ。失敗したら、その事実に落ち込みそうになるかもしれない。一生懸命作ったゲームがさっぱり売れなければ、確かにショックだろう。しかし、ここで冷静に事実を見つめてみることが次の成功につながることを忘れてはいけない。

ゲームが売れずに落ち込んでしまうのは、そのゲームが完璧だと思い込んでいたからだ。完璧などあり得ないし、売れなかった理由は絶対にある。その理由を明確にして、次回の作品でクリアすれば良いのだ。例えば、単純に販売開始後、宣伝が不十分だったのであれば、次回はもっと宣伝すれば良い。グラフィックの質が低かったのであれば、グラフィックの質をあげればいい。自分のスキルを上げてもいいし、お金をかけて他の人に作ってもらってもいいだろう。

何が良くなかったのかは、販売プラットフォームでのレビューを参考にしたり、ソーシャルメディアで作品のエゴサーチをしてみるのが手っ取り早い。意見を真摯に受け止め、次回に活かすのだ。そもそもレビューが全く無いのであれば、それは宣伝が足りなかったという認識で間違いないだろう。


まとめ

過去の自分とだけ比較し、高いモチベーションを維持していれば、大変な開発作業も楽しみながらゲームを完成までもっていくことができるだろう。完成すれば販売できる。販売してしっかり宣伝すれば、稼げる可能性を上げることができる。一本目のゲームが売れなくても、売れなかった理由をリサーチして次回作に活かそう。このサイクルを続けていれば確実に良いゲームになり、より売れるようになるはずだ。売れれば売れるほど大変な開発作業が報われるので、挫折する可能性は反比例して下がっていくだろう。

ただ、最後に一つ申し添えておきたい。たとえ開発の作業が大変だとしても、たとえゲームが売れなくて稼げなかったとしても、それが楽しくて、しかも他にやりたいことがないのなら、やろう。こんなにクリエイティブで楽しい活動はなかなかないのだから。